- 2008年11月13日 17:18
髪を切って、渋谷のツタヤでCDを10枚ぐらい借りた。雨が降って、すごく寒かった。渋谷のツタヤってのはフラッグシップだか何だか、少し格好つけているからSHIBUYA TSUTAYAって書くのが正解らしいけど、渋谷も、ツタヤの棚の新しいジャンル分けも、僕は全然好きになれない。そのくせファラオ・サンダースのアフリカは置いてなくて、結局タワーレコードで買った。レジの女の子が黄色い袋にCDを仕舞う仕草がかわいらしかった。でも、デートコースペンタゴンロイヤルガーデンのCDを探していたら近くにSpangle Call Lilli Lineのまだ聴いたことのないアルバムがあって、それを借りて聴いたら、とてもよかった。ポンキッキのCDは、まだ聴いていない。傘を差して歩いたので、くたくたに疲れた。体調はとてもよくない。
時々思い出したみたいに坂口安吾の文庫本を引っ張りだして、頁をぺらぺら捲っている。濡れた手でヒーターの電源をコンセントに差したら、少しビリッときた。畜生。寒い。自分の魂に誠実であるという言葉の意味が、よくわからない。自分の幽霊と命を賭しても争うということが、具体的に何を意味するのか、よくわからない。でも、僕がいままで創作だと思っていたもののほとんどが、フツカヨイの文学であったことは、よくわかる。ファミリーマートに売ってるコーヒーゼリーが美味しいことは、前から知っている。
だいぶ前に、僕が大層お慕い申し上げている方から、「ミトミ君(僕のことです、)の漫画や文章はちょっと格好つけちゃっているから、もう少し照れずに書いてみなよ!」みたいなことを言って頂いたので、素直に書いているつもりなんだけど、言われてみるまでそんな自覚もなかったので、どうしたらいいのかまだよくわからない。まあ、元来が見栄張りで、格好つけで、人にどう思われるかばかりを気にして、そういう人間なので、仕方ないのかもしれない。ちなみに、どういう人間かというと、劣等感と優越感を500mlずつ混ぜたカフェ・オ・レを、無理矢理350mlの缶に詰めたような人間です。
このごろは、それでも、「作者は作品の中でしか語り得ない」っていう坂口安吾の一節がとても気に入っていて、人の前ではなるべく下らないことばかり言っていようとか、ほんとうの創作だとか、そういうもののことは全然気に掛けていないフリをしていようとか、思っている。だから、本心では自分のことを史上稀に見る天才だと思っているし、もうひとつの本心では、自分のことを史上稀に見る大馬鹿者だと思っている。優越感と劣等感のコンプレックスに取り憑かれた幽霊です。結局は、自分と自分を取り巻く狭い狭いサークルの中にしか興味を見出せずに、狭量な世界観で全部が全部だと思い込んでいる、そういう幽霊です。
実際、目先の優しさを手に入れるのは容易いよ。僕だけじゃない、多分誰だって、それに溺れてしまうんだ。すぐ手に入る安心だとか、今そこにある優しい言葉に、溺れてしまうんだ。誰もがいつだって承認欲求の奴隷になれるし、誰もがいつだってそこで神様になれる。僕だって例外なくそれに溺れて、酩酊して、自分の本当の立ち位置を、見てみぬフリしているのです。気づかないフリをしているのです。そんな心地よくて暖かい泥沼から足を洗うのは、大変だネ、実際。そうなんです。
いつか見た修羅は?まだ生きているだろうか。いつか拾い上げた三角定規は?まだ先は30度の鋭角に尖ったままだろうか。格好つけて言うわけじゃない、笑われたって構わないのです。くだらないと蔑まれても、フツカヨイの押し売りだと罵られても、僕は僕に誠実にあるための手段を、他に知らないのですから。